考えると心臓が爆発しそうになるやつ
虐待、毒親、イジメ、自殺、モラハラ、LGBTQ、死…
それはそうなるわな。
流石、候補作を書ける天才たち。生々しい描写で色々と思い出してしまう。自分の人生の、そういう感覚。
で、それはおそらく悪いことでもないんだけど、「あの時はあの対応でよかったのか?」と、自問自答を繰り返してしまうから、読書が進まない。過去の私の過ち探しが延々と続く。
ゴミ屋敷のこととか。片付けようとしたというか、ゴキブリたちと闘いながら、大事なものを大量のゴミから見つけ出そうとした。バルサンの煙を派手な舞台芸術エフェクトの如く焚き上げながら。
最後は時間切れで逃げ出した。手に負えないというのはこういうこと。でも、逃げたのは負の記憶で、もっと上手くやりたかった私のプライドを汚し、誰にも話せないほど恥ずかしい。
YouTubeで見るゴミ屋敷片付け動画とかってキツそうだけど、プロのチームだから、自分も仲間に入れたら頑張れる気がする。でも、それはあくまで自分と無関係のゴミ屋敷だから。少しでも自分と関係あるならば、やっぱりそうはいかない気がする。
でもねー、それにしてももっと違う道もあったんじゃないかなって。助けてくれる人がいたかも。ちゃんと探さないで、なぜか全部自分たちでやろうとした。
最後は逃げたことで、大事な人の記憶の品、つまりその人の過去を捨てた(文字通りに破棄した)のではないか?
そっちの勝手な罪悪感が一番強くて、キツイ。
自分ならまだしも、自分でない人の何かを奪ったんじゃないか。本人は全く気にしていない様子だが、いつかはそこに空いた穴に気づくんじゃないか、と心配している。不安だわ。
自分はもっと頑張れなかったのかな?
書くこと
昔の文章を読んでいると、「へー、こんなことを書いていたんだ。でも、本当に書いたの?」と自分が書いたことを少し疑問に思う。しかし、声に出してみたら、それはそのまま私の言葉だった。確かに、そんな文章を書いた気もする・・・とにかく共感はできる。「あんたが書いた文章だからじゃ〜〜〜ん」とかつっこまれそうだけど、目の前にいるのは猫だけだから、助かる(笑)
まだ夢があるうちには・・・
エンディングソングはRadiohead。それもまた雰囲気ですぐわかる(笑)良い。
Radioheadと言えば、『告白』の映画版にもRadioheadの『Last flowers』が使われていたことがとても印象的だった。本当にうまくマッチしていたから、その歌を使わせてくれたRadioheadには感謝。そういえば、『告白』がアカデミー賞候補には結局残らなかったことが今日ニュースになっていた。もっともっと傑作映画があるとは思うが、日本映画業界ではかなりトップに近いでしょう。またどこかの戦争映画を政治的な理由で選ばなければならなかったのか??(別に戦争映画だから悪いとか良いとか、嫌いとか好きとか、そういう話じゃない)
やっぱりもったいないので、納得いかない。
RadioheadのメンバーであるGreenwood(だっけ?)って『ノルウェイの森』のサウンドトラックも作曲したらしいね。Radioheadの「幽霊気味」のある曲が日本と相性がいいと思う。よく表現できないが、スピリチュアルな意味では繋がっていると思う。
歌詞ではよく幻聴などの話がでる気がするけど、それはなぜだろうね?誰か幻聴を経験したことがあるかな?夢も、幻聴と幻覚で出来ているかもしれないね。あと幻嗅。そう考えるなら、誰だって幻聴を経験したことあるということになる。わたしは幻聴を聞いたことがある。しかし、それはどこかの不気味な声ではなく、自分自身の声が頭の中で勝手に囁いたものだった・・・内容はやっぱり不気味だったが。
夕べ、サイコパス的なストーカーにつけられ、遊ばれた夢を見た。起きてからメモするには長すぎて、複雑すぎる内容だったから、かなりずるい。書きとめながら、忘れてしまうから、いくら表現しようと思っても、失敗に終わってしまうあの不思議な喪失感。そこにあるのに、一日中感じるのに、内容や意味が失われた。眠くなれば、映像が部分的によみがえる。森が見える、家が見える、電話が見える、自分が見える、地面のタイルが見えて、そしてナイフが見える・・・
死の話ばかり聞くのはわたしだけ?友達が初恋の失恋体験で自殺を考えるほど落ち込んでいると言う。相談役に選ばれたのは、なんと何もわかっていないわたし。ここにいるから?近いから?同じ時間帯に本音が言える友達がいないから?彼がわたしのほとんどの秘密を知っているから、やっぱり話しやすいんでしょうね。
幸い、自殺をするタイプではない。自殺を考える感覚と、自殺しか道がない瞬間の感覚は全く違うこと、彼は知らない。死ってほしくないので、これでいい。大切な人を失ってしまった痛みと喪失感で今胸がいっぱいだそうだ。体験したことがすべてウソになりそうな気がして、良い思いでとして残らないのではないかと。「人生の意味がわからない」だそうだ。まさに失恋。あ~~~~~、何もしてあげられない・・・・・・・
長いメール
手紙もダメ。手紙が来るたびに、嬉しい反面、また返事を期待されていると考えると、やはり辛い。特に頑張って書いてくれた相手のことを考えると、手紙を読むことさえためらう自分がなさけなくて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
それに代わって、何が久しぶりに楽しくなってきたかというと、それは読書。本が読めるようになった!何年ぶりだろう?5・6年じゃないかと思う。内田百のショートの続きも読みたいし、『1Q84』も気になる。日本語で読むつもりだが、去年の秋、すでにドイツ訳がでたので、英語よりもはやい出版となったところが驚き。そういえば、明日、ドイツ地元の独協会で『1Q84』や他の村上春樹の小説をドイツ語に訳した翻訳者による朗読会が行われるそうだ。こういうときに限って、そこにいないんだよねーーー・・・・ああ、これは本当に行きたかったな~。
そしてビザの更新。憂鬱の日々。出島の雰囲気はやっぱり相変わらず火葬場と中東市場を合わせたモノのようだ。今年も自分より先に100人もいた。待つ時間1時間半。結果は葉書が届くまでわからない。しかし、葉書がなかなか届かない。これは一番辛い。もうすぐ帰国のフライトがあるというのに、もしかしたら、飛行機には乗れない。在留資格を失うか、フライトを失うか。考えるだけで汗が出る。
風邪を引いてしまった。出島の影響もあったかわからないが、年末はかなり落ち込んでいたので、どんどん心身が弱ってきた。12月にかかった喉風邪が抗生物質で完全に治らず、今また細菌炎症をおこしてしまったようだ。やっぱり、悲しいとき、落ち込んでいるとき、狙われるんだよねーヤツラに・・・
まだ風邪でダウンだから、休まなきゃ。
寝るとき、夢に飲まれてしまうことが多くなってきた。夢が現実よりも強烈で、ある意味リアルで、全く起きられなくなった。目が覚めても、瞬きさえすれば、すぐ夢の世界に戻ってしまう。これはわたしだけなのかな?本当に気になるのに、誰にも相談できないから、ずっと不安で、困ったままで、・・・誰か、導いてほしい・・・
だいたいこんな感じ。
明けましておめでとう
自由・・・本当の自由。体だけでなく、当たり前のように感じる住・食・衣だけでなく、気持ちの自由。最後感じたのはいつ?
今日は気分が悪い。静かになった部屋の中でパソコンの前に座り、ダラダラしていたら、色んな思いがあがってきて、それを半分無視したら、急にこころが痛くなった。
最近、富士山が綺麗。ウェブカメラも毎日チェックしている。
なんでお互いを傷つけてしまうのだろう?最近、みんなが余裕がないかもしれない。わたしはない。バカな話だけど、好きな映画が友達に笑われたら、ものすごく傷ついた。そしてその人の、最近高く評価している映画は・・・そこまで良い作品だと思わない自分がいる。もちろん、観察には値するし、面白いポイントもいくつがある・・・だが。二人のオタクが別々の方向に走り出してしまった感じ。
わたしたちはみんなオタクになってしまったのかな?癒しが作品からでなく、自分の中から出てきたら格好いいけど、外部から癒されたい気持ち、甘えはだいたいみんなある気がする。そしてそれを取り上げてはいけないんだよね。
いわゆるオタク文化について考えることが多くなってきた。日本は今、得意のキャラクターや萌えサブカルチャーで勝負しようとしている。確かに、そこにはすごい力が秘められている。でも、一歩はずしたら、えらいことになるだろう。しかもただ適当に日本で受けのよいものを広めても意味がないし、うまく行きそうなときはぜったいいい気になってはいけない。・・・成功には必ず努力がある。または天才がいる。そういうのは簡単に自分のものにはできない。しかし、コミュニティーにはアウトサイダーメンタリティーのようなものがある。抵抗精神。良いことだ。しかし、危ない力だ。だからつい今後が気になってしまうのだ。
ハプニング
最近では、こんなクリスマス風のものが行われたみたい↓
アートなのか、いたずらなのか、意見が分かれるでしょう。それとは別に、キリストが生まれたことを祝うクリスマスの喜びを人に伝えようと思ったら、こんなハプニングこそが効果的だと思う。ものすごくリアルなものになっている。プロの合唱団って協会よりも、もっとショッピングモールで歌うべきなのかなー?
ちなみに「Flashmob」で検索すれば、色んなハプニングが出てくる。
これがなんとなく一番有名かな?↓
そしてニュースになったのはこれ↓マイコーが天国で笑っているでしょう^^
そして最後に、例えばこれ↓。涙が出た。まだ諦めるのははやいなーと感じさせるハプニングの傑作だ。おばあちゃんが可愛い!!ずっといいことがない人が癒されたんだと思う。
ウリボウと牛!
牛牧場にイノシシの赤ちゃん=すっかり同化、鳴きまねも―ドイツ
時事通信 11月6日(土)7時4分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101106-00000024-jij-int
【ベルリン時事】ドイツ中部のニーダーザクセン州ワーケで、牧場の牛の群れに野生のイノシシの赤ちゃんが迷い込んだ。イノシシは子牛と並んで雌牛の乳を飲む一方、牛の鳴き声をまねる練習を始め、すっかり牛の生活になじんでいる。
イノシシは推定生後4カ月。牧場主が地元紙に語ったところによると、9月中旬に現れたイノシシは、程なくして26頭から成る牛の群れに受け入れられ、一緒に牧場を駆け回るようになった。牛と同じように草をはみ、牛が寝ると自分も横になるという。
牧場主は当初、雄だと思い、「フレディー」と名付けたが、後に雌らしいことが判明した。専門家は、牛とイノシシの共生は聞いたことがないと首をひねっている。
Kühe adoptieren Wildschwein-Frischling
http://www.ndr.de/regional/niedersachsen/harz/wildschwein129.html
Stand: 02.11.2010 08:12 Uhr
Er wirkt winzig-klein, wenn er zwischen riesigen, 600 Kilogramm schweren Rindern steht. Aber der vier Monate alte Wildschwein-Frischling Freddy macht einen zufriedenen Eindruck. Das Ferkel hatte sich vor etwa sechs Wochen der Galloway-Rinderherde in Waake bei Göttingen angeschlossen. Offenbar war es allein und suchte einen Ersatz für die fehlende Rotte. Die Rinderherde "adoptierte" den Eindringling nach einigen Startschwierigkeiten.
Freddy säuft Rindermilch und versucht zu muhen
Dass seine Rinder das Wildschein-Baby annehmen würden, hätte Bio-Landwirt Bodo Bertsch nie für möglich gehalten. "Ich habe bisher immer nur erlebt, dass die Rinder Wildschweine sehr aggressiv aus der Herde drängen, die Kälber schützen und die Wildschweine von der Wiese jagen."
Für Freddy aber läuft es derzeit optimal, er übernimmt sogar Verhaltensweisen seiner neuen "Familie". Auf der naturbelassenen Weide genehmige er sich dann und wann einen Grashalm, stellte Bertsch fest. "Das Ferkel versucht, sich zu verhalten wie ein Rind. Es guckt, was die anderen Rinder machen, wie die Rinder weiden, wie sie Gras fressen. Ich habe selber schon gesehen, wie das Ferkel zusammen mit einem Kalb am Euter einer Mutterkuh gesoffen hat. Ich vermute, das passiert öfter. Wenn die Rinder weglaufen, läuft Freddy auch. Wenn sie stehen bleiben, bleibt er auch stehen. Und wenn die Rinder anfangen zu muhen, versucht er auch, Laut zu geben. Das ist dann aber nur so ein kleines 'Oink Oink'".
Zuchtbulle Mario ist auch einverstanden
Als Freddy zum ersten Mal bei der Rinderherde auftauchte, waren nicht alle gleich begeistert. Einige Rinder hätten versucht, ihn zu vertreiben, so Bertsch. Aber Freddy habe sich nicht entmutigen lassen und sich an die Tiere gehalten, die ihn am ehesten akzeptierten. Mittlerweile gebe es nur noch ein paar Altkühe, die ihn ab und zu anfauchten.
Selbst Zuchtbulle Mario habe das neue Herdentier aufgenommen. Vermutlich, weil das Ferkel keine Bedrohung darstellt, erklärt die Lebensgefährtin des Landwirts, Sonja Gaehrt. "Es ist halt ein kleines Schwein. Ich denke, ein großes Schwein wäre schon schwieriger. Es ist ja nur ein Tierbaby. Zwischendurch wird es auch mal angegangen, danach stehen sie aber wieder lieb nebeneinander. Sie verhalten sich halt, als wäre einfach noch ein Kleines dazugekommen."
Umzug macht Sorgen
So harmonisch die Herde aus Rindern und Schwein auch ist, so schwierig wird es, wenn sie umziehen muss. Die Galloways wechseln in etwa zwei Wochen auf ihre Winterweide. Ferkel Freddy soll mit. Aber wie, weiß Landwirt Bodo Bertsch noch nicht. "Das Schwein müsste praktisch mit auf den Viehanhänger verladen werden. Da bin ich noch skeptisch, ob das funktioniert."
Regen in Tokyo 東京、雨の日
Das Wetter zur Zeit ist ebenso verrückt wie in Deutschland, wo es ja teilweise geschneit hat, wie ich hörte. Hier ist es genau das Gegenteil. Es ist Tag und Nacht ununterbrochen heiß. Eine Jacke oder langärmelige Hemden/Hosen hatte ich schon seit über einem Monat an, und wenn doch, dann war das einfach nur Folter, die man zum Zwecke von UV-Schutz sich selbst auferlegte.
Der heißeste Sommer seit 113 Jahren, seit Beginn der Wetteraufzeichnung. Vermutlich also der heißeste Sommer überhaupt hier. Und ich war dabei....yeah....äh, banzai!
Wir, die wir nun also mit der höllischen Hitze leben mussten, haben zum Schluss nur noch unterschieden, ob es eine Hitze ist, die schwül-feucht ist und einen deshalb auch bis in die Schatten verfolgt, in die Kleidung kriecht und das Atmen schwer macht, oder ob es eine Hitze ist die von der prallen Sonne von oben kommt, oft ohne Wind, dafür aber an schattigen Orten ein Temperaturunterschied fühlbar ist.
Nun also Regen! Der Grund dafür ist ein Taifun, der an der Japanmeerseite genau über die Insel zog, über die Japan und Korea sich so streiten. Ein gigantisches Regengebiet folgte dem Taifun und erwischte auch uns am Pazifik.
Ich hatte schon mit dem Schlimmsten gerechnet, doch wieder erwarten war es dann doch nicht so schwül. Es goss den ganzen Nachmittag wie aus Kübeln. Vielleicht hat es das gebracht. Die Temperatur sank jedenfalls abends auf angenehme 26 Grad, die Luftfeuchtigkeit war mit 55% auch OK.
Ich wagte einen Schritt, den ich in den letzten zwei Monaten vermieden habe: ich machte die Fenster auf und stellte die Klimaanlage ab. Ein großer Schritt für mich (ein kleiner Schritt für die Menschheit, haha).
Tatsächlich: erträglich! Wow. Der Blick in die Nacht zeigt die Wolkenkratzer der Stadt halb verschlungen von den tief hängenden Wolken. Das erinnert mich an die Alpen. Da scheinen die Wolken manchmal auch so nah als könnte man sie mit dem ausgestreckten Zeigefinger anstupsen.
Ich rette mich in eine Phantasie, in der es in Wirklichkeit schon Herbst ist. Das ist kein Sommer-Taifun, nein, das ist ein kalter Herbst-Taifun, der die Blätter von den Bäumen fegt...
Am nächsten Morgen ist es immer noch angenehm kühl (25 Grad). Die Propeller der an den Hausaußenwänden angebrachten Klimaanlagen stehen still. Wenn wir alle gleichzeitig beschlossen hätten unsere Klimaanlagen abzustellen, vielleicht hätten wir dann die Temperatur schon um 2 Grad senken können. ...aber das ist wohl wirklich nur ein Traum. Die Realität ist 360°Hitze: von oben, vom heißen Asphalt unten und von den Klimaanlagen-Auspuffen von der Seite.
Heute haben wir davon eine Pause. Hoffentlich hält es noch etwas länger an!!